娘が1歳になる少し前から、自力で立ちはじめました。
はじめて立ったのは、春分の日のこと。その瞬間を見ていた妻は言いました。「今日立つって、決めてたよ、この子。自分で決めて立った感じがした」と。
その言葉が、なんだか妙に刺さりました。
最初の数日は、たまにふらっと立とうとする程度でした。それが、ある日を境に急に何度も立つようになりました。
そして、立つたびに見せる表情が面白い。
嬉しそうというか、ドヤ顔というか——満足げな顔で、自分の手をパチパチと叩いて、自分自身を称賛しているようです。そして、こちらを見ます。「見てた?すごかったでしょ?」とでも言いたそうな目で。
一緒に喜んでほしいのでしょう、明らかに。
「凄いね!」と手を叩いて喜んであげると、それから何度も立っては尻餅をついてを嬉しそうに繰り返します。
これって、大人も同じじゃないか、とふと思いました。
「立つ」という目標に対して、本当に必要なのは「立ち方」の知識や技術ではない。立とうとする意志・意欲・意図だ、と。
逆に言えば、その気持ちがなければ、どれだけ知識があっても人は動かない。「やり方を知っている」と「やる」の間には、意志という橋がある。
そして、できたときは嬉しい。共感し共に喜んでもらえると、さらに嬉しい。その嬉しさが、また次への意欲になる。
娘はそれを、理屈なく、全身で体現していたように見えました。
子育てをしていると、子どもに教えているつもりが、気づいたら子どもに教わっていることがあります。
「今日やると決めて、やった」——それだけのことが、どれほど大切か。
シンプルなことほど、忘れがちだなと思った春の日。


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